機動戦士ガンダムSEED Revival
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オーブの首都オロファトの中心部に、威風堂々と立てられた統一連合議会議事堂。


西日が差し込む午後、つかの間の休憩時間に入り、控え室にやってきた統一地球圏連合主席カガリ=ユラ=アスハは乱れた金髪を整えた。警護を務める治安警察の女性職員が差し出したミネラルウォーターのボトルを受け取り、酷使した喉を潤す。直後に零した声には、明確な苛立ちと戸惑いが混じっていた。


「どうして解ろうとしないんだ彼らは! 今は一丸となって、この世界を乗り切っていかなくてはいけない時なのに、あんな……!」


何時も通りの静かな議会は、主権返上の審議に入った途端にその姿を一変させたのである。賛成派と反対派に分かれて激しい応酬が為され、激した議員同士があわや掴み合いの争いに発展しかけたのだった。 言い争い、論争にはもう慣れつつある。しかし議員の発したある言葉に、カガリは心臓を鷲掴みされたかのような衝撃を受けた。


『アスハ主席が故ウズミ氏の理念を貫くために主権返上を推進するというならば、我々も真の名君であられたウズミ氏のように、人としての精神の侵略に対し立ち上がろうではないか! 喩え平和の使者が、我々をこの場で焼き尽くそうとも!』


「違うッ!! 父は、父は……!」


プラスチックのボトルが握り潰され、零れた水が僅かに袖を濡らした。拠り所の一つである、父ウズミの遺志。それを引き合いに出された時、若き支配者の精神はいとも容易く揺らいだ。肩の震えを抑えられず、議長に休憩時間の前倒しをさせる事しか出来なかったのだ。


「アスハ主席……人は、一度手にした力を放棄できない生き物です。貴女は正しい事をなさっているのですから、その信念を曲げるべきではないのです。権力に固執する彼らの、苦し紛れの言葉に惑わされてはなりません。自信をお持ちになってください」


カガリを挟んで警護官の反対側に立つ、髪をアップにした女性秘書が感情を交えず語りかけてくる。ボトルを警護官へ返し、それに頷くカガリ。


「そうだ。私には迷っている時間などないんだ。世界がこれ以上悪い方向へ転がらない内に、父の理想を、本当の自由と平和を実現させなくてはならないというのに……! あと少し、あと少しで……!」


言葉の最後はさながら祈り。その様子を見た秘書が、銀細工の腕時計に視線を落とす。


「後15分で審議が再開されます。主席、原稿の確認を……」






だだっ広く、質素な議員控え室にて。先程まで激論を交し合っていた代表議員が肩を叩き合って頭を下げ合い、部屋のあちこちで名刺交換が行われている。秘書を連れて歩く議員が、それぞれ自分達の『側近』を紹介し合い、紙コップ片手に良く響く声で笑い声を上げていた。


「いやーお疲れ様でした! 先程は凄かったですなぁ」


「ハハハ……まだまだ私も頑張らなくちゃなりませんので。お、それより来年の宇宙港保全工事ですがね、公取に何とか納得して貰えそうですよ」


「あ、この彼にね、僕の後任を勤めてもらうつもりなのだけれども…」


他愛の無い、しかし下世話な会話が続く中、だがただ一人だけ、それらの話に全く加わらない人物がいた。他の議員と同じくスーツ姿であり、すらりと伸びた脚を柔らかく組んで控え室の隅に座っている。手元には紙の資料。周囲にその女性に声をかけようという議員はいない。


190cm近い長身。部屋の照明で艶やかな光を放つ黒髪。紅玉を思わせる切れ長の双眸。透き通る白い肌。その優雅な振舞いは、黒のスーツよりも時代錯誤な刺繍入りローブの方が似合うと錯覚させるほどに完璧。


ロンド=ミナ=サハク


アメノミハシラ代表にして、オーブ五大氏族サハク家の血を継ぐ者。優劣はさておき、小柄で金髪、何事も頑張って取り組むという姿勢を前面に出したカガリを『姫』とするならば、一歩引いた所で全てに目を光らせ、自身の計算から反れた存在を許すまいとするこのミナは『女王』といって良いだろう。


一時資料から顔を上げ、相も変らぬ議員達を眺める。あの男と出会わなければ、自分も恐らくはあの中の一人になっていただろうとミナは思う。理想に走り、反統一連合としてテロリストを支援し、世界に不必要な破壊と混乱を撒き散らしていたかもしれない。言ってみればあの一介のジャンク屋の言葉があったからこそ、今の彼女があると言って過言ではない。


「巡り合わせといって良いものか。解らないものだな」


柳眉を震わせ、彼女は僅かに笑みを浮かべた。


統一地球圏連合が興った直後から、ミナは彼らが急速に推し進めつつある主権返上の考察を始めていた。何処が賛同し、何処が反対しているのか。


何故賛同するか、何故反対するか。そして自分達のような中立者はいるか。いるとすれば、それは何故か。それらをまとめたレポートが、現在彼女の手元にある。


それは単純に言ってしまえば、各国の帳簿であった。


『裏』帳簿も幾らか混じっているが。ミナは現在の状況を、人が恒久的に求め、気にかけ、行動原理の一つとする『経済』の観点から見極めようと試みたのである。


無論、絶対の真理とするつもりはない―そもそもミナは、『絶対』なる主観的で、不確かな言葉自体を信用していない―あくまで判断材料の一つ。今回の審議に出席したのは、自身の立てたその考察の正否を確かめるためでもあったのである。そして結果は、概ね満足の行く物だった。


「世界とは存外にシンプルだ。関わり合えば厄介だが、な」


先程繰り広げられた、見るに堪えぬ猿芝居を思い出し、ミナは眉根を寄せて目を細めた。

戦争が終わる以前から親交の深かったスカンジナビア王国など、オーブと積極的に交流している国は、やはり主権返上に賛同している。これは親交が深まると同時に2国間の貿易が盛んになり、事実上の経済統合が強く推進されているからと見てほぼ間違いない。調査結果がそれを示している。


経済的な結びつきが強く、お互いが『お得意様』になってしまえば…全てが疲弊しきった現在の世界である。企業でいえば合併を考えるだろう。幸い、統一連合は世界最強の軍事力を保有する組織である。他国から武力で脅かされたとしても、背後に統一連合が控えていれば譲歩の必要は大幅に減じる。メリットがデメリットを上回っていると言えよう。


ひるがえって反対派の大西洋連邦…つまり旧連合の中心となっていた国家主体を見れば、遥か昔の欧州連合の流れを継承し、オーブとは関わり合いの無い領域での経済交流が活発である。このような国家が主権返上を受け入れ、外交と軍事という直接戦力を取り上げられてしまうと、関税障壁の展開など国内産業の保護が困難になるのだ。


更に統一連合のパワーを利用する者達との間で利害の衝突が起こった場合、浅い関係しか築いてこなかった彼らの交渉力は大きく削がれる事になる。つまり此処に集まったそのような各国代表は、主権返上を受け入れないのではなく、『受け入れられない』のだ。


もしこんな条件を公式に了解してしまえば、国益を脅かしたとして来期の選挙は絶望的である。国民や後援者からは見限られ、権力の亡者はただの人間に戻るのだ。歴史に自らの爪痕を残すためだけに生きる彼らにとって、それは死に勝る苦痛だろう。


そしてその事を、統一地球圏連合主席カガリ=ユラ=アスハは欠片も考慮していない。恐らくは頭の隅にも置いていないだろう。亡父ウズミのように信念に燃えて突き進み、亡父ウズミとは違ってそれ以外を持たない。感情ばかりが先行し、周囲はそんな彼女を都合良く操縦する為に、世界の仕組みを教えず、導こうともしない。


彼女が持っているのは空回りしてばかりの正義感と、世界を滅ぼしかねないほどの強大な戦力。ただ、それだけだ。


薄暗い濁り水の中で乏しい酸素を奪い合い、時に分け合って時代を乗り切ってきた政治家達にとって、カガリはあらゆる意味で話にならない存在だったのである。腹を割って話す事も出来ず、結果として感情論で言い争う茶番を演じ、時間を稼ぐ事しかできない。


「…審議を再開します。議員の方は御入場ください」


警備兵の言葉に振り返り、資料を持って入っていく議員達。ミナはその最後に続いた。壇上で柔らかな金髪が揺れている。広い議事会場だが、今のカガリは殊更に遠く見えた。議長の再開を告げる声が上がる。


「アスハ主席! 先程申し上げた通り、これは形を変えた侵略であり…」


「異議あり! ただ平和を求めるアスハ主席に対し、そのような…!」


途端に再び荒れる議会を、ミナは冷ややかに見詰めていた。


「平和、か…」


馬鹿騒ぎの中、ミナはカガリを見る。戸惑いと苛立ちで、原稿を握り締めるその姿を。


「何をもって平和とするか。何が平和をもたらすのか……それを学ぶ事すら出来ないまま、力だけを与えられたお前は不幸だよ。主席殿……」


結局、ミナの危惧どおりこの日の議会も紛糾したまま幕を閉じた。






夕刻。


オロファト郊外に建つ屋敷のベランダに、女性が独り佇んでいた。夕風に桃色の髪が揺れ、夕陽を浴びた髪留めが光を弾く。目を閉じて、潮の香と風を愉しむように身を乗り出した。


ラクス=クライン。


二度の大戦を終結へと導き尚、恒久の平和を世界にもたらさんとする慈愛の人である。その強烈に過ぎる輝きは、時に意図せぬ者を焼く。無私である故に、人心を読み違え得る。しかし彼女を思い留まらせる事は難しいだろう。何故なら……。


「ラクス……」


「……キラ」


背後からかかった声にラクスが振り返り、微かに笑みを浮かべる。

キラ=ヤマト。若干23歳のこの青年が、オーブの軍神にして二度の世界大戦を終結へと導いた英雄である。少々押しの弱い印象を受けるだろうか。ブラウンの髪に、深い蒼の瞳。少年の面影を残す彼はラクスの笑みを受け、はにかんだように笑い返した。


この青年こそがラクスの剣であり、盾でもある。自由の名を冠した甲冑を纏い、平和の下でのみ力を振るう。それに抗える者は、未だ存在しない。


慈愛の歌姫と守護騎士。人類の導き手たる彼等こそが現在の平和と繁栄、そして困難を招いている原因の一つなのだ。


理想とは脆いもので、人々に行き渡る事は稀である。理想を抱く者は通常、己の無力さと個人の限界を痛感した後、どうすれば物事をより良くできるのかと頭を捻り、身体を動かし、時には傷だらけになって別の道を模索する。元来世界はそうやって、幾つもの変節を経て進んできたのだ。


しかし、二人は違う。限界など感じない。ラクスが掲げる理想は、まずキラによって絶対の守護下に置かれる。そして、それっきりなのだ。外圧に負けて意見を摺り寄せる事も、根底から打ち壊されて方針転換を図らざるを得なくなる事もない。


そして守護者キラは、ラクスに疑問を抱かない。彼女には私利私欲が無く、ただただ世界の平和の為に成すべき事のみを言葉にし、方針として周囲に伝えるのみだからだ。彼にとって討つべき悪は、其処にない。


「さっきカガリに会ったよ。大変そうだった」


「重い責任の伴う仕事をなさっているのですから仕方の無い事なのでしょうね」


「アスランとは、まだ連絡が取れないんだ。監査部隊は情報を漏らしちゃいけないらしいから」


そう言ったキラが、悲しげに溜息をつく。ラクスの隣に立ち、手すりに身をもたれさせた。


「どうして上手くいかないんだろう。僕らは正しい事を……ううん、平和な世界が見たいだけなのに」


「キラ……?」


「カガリがね、泣いてたんだ。どうして皆解ってくれないんだ、って。平和な世界にしたいのは、皆同じはずなのに、って。……確かに僕は、平和を乱す敵を討つ事ができるよ。けど……」


声を震わせ、目を伏せる。吐息が漏れた。


「僕には……無理なのかな……?」


顔を覆いかけたキラの手を、ラクスが柔らかく包んだ。


「……ラクス?」


「皆も平和を願っていますわ、キラ。誰も争いなど求めたりはしません。けれども……人は常に先を見通して行動できるわけではないのです。だから時には目先の事に拘って、本当の願いが曇ってしまう時があるのです。だから悲しい事が起こるのです。……命が散るのです」


キラの手を取ったまま、ラクスは変わらぬ微笑と共に言葉を続ける。


「私の父が、キラのご両親がそうしてくれたように、私達が支えて差し上げなくては。それこそが私達を愛し、信じて下さった方々へのご恩返し……私はそう思います」


「………」


「……解っています、容易でない事は。けれども誰もがそれを避けた結果が今の世界。かといって、これからを生きる子供達に悲しみの連鎖を残すわけにはまいりません。悲しみは何処かで断ち切らなければならないでしょう?」


「……そう、だよね。それが力を持った僕らの義務だ……。みんなを管理するなんて大それた事は出来ない。けど、道を歩く手助けなら……」


そう言って、キラはラクスと向かい合う。沈みかけた夕陽に目を細め、憑き物の落ちたような笑みと共に。


「頑張れると思う。僕一人じゃ無理かもしれないけど、ラクスが……皆が一緒に居てくれるならきっと……」


「ええ……。何時か、きっと」


ラクスが微笑む。

波の音が2人を包み、夜の帳が下りようとしていた。

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