機動戦士ガンダムSEED Revival
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ソラが歌姫の館を去る少し前の夜。自室の机でうたた寝をしていたソラにメイドが言伝(ことづて)をしてきた。

キラ様がお呼びです、と。

少し寝ぼけた頭を無理やり叩き起こして、ソラはメイドの案内のもと客間の一つへと足を運ぶ。客間に入るとそこには、仕事から戻ったばかりのキラ=ヤマトその人が彼女を待っていた。煌々と火をともす暖炉のそばで、私服姿の彼はソファーでくつろいでいる。案内してきたメイドは二人に一礼するとドアを閉め、去って行った。


「お帰りなさい、キラ様」

「ただいま。悪いね、こんな夜遅く呼び出したりして」

「いえ、気にしないで下さい。キラ様こそお忙しいんですから」


軽く挨拶を交わしつつも、少しソラはいぶかしむ。ソラはキラからの”言伝”に何か胸に引っかかるものを覚えていたからだ。


(ラクス様は抜きで?それにハロも置いてきてほしいとも言ってたし……。誰にも聞かれたくないって、どういう用件なんだろう?)


奇妙な、どこかキラらしくないと思った。キラは屈託のない笑顔を浮かべているが、つい身構えてしまう。


「ああ、そうだ。どうぞ適当にその辺ソファーに座ってよ。立ってるのもなんだから」


すすめられるままに席に座り、キラに向き合う。


「緊張しなくていいよ。少し話をしたいだけだから」

「……す、すいません」


警戒心が顔に出ていたようだ。思わず真っ赤になる。恥ずかしい。そんなソラにキラはニコリと笑って、呼び出しておいて何のおもてなしもしないのは問題だね、と言ってカフェオレを入れてくれた。固まった気分を解きほぐしたいという気持ちの表れなのだろう。キラのこういう人を思いやる優しさは、ソラも好きだった。カップから湯気とともに心地いい香りが漂う。ソラは熱いカフォオレにふうふうと息を吹きかけて、少し冷ます。一口飲むごとに、緊張が解きほぐれていく。彼女が落ち着くまで少し待つと、キラはようやく切り出した。


「君を呼んだのは他でもない。実は教えてほしいことがあるんだ」

「教えて欲しい事……ですか?」


キラは笑顔をそのままに、しかし真剣な口調でソラに問いかける。


「東ユーラシアで捕らわれていた時に、君はシン=アスカという人物に出会っていないかい?」

「……え?」


言葉に詰まる。

リヴァイブと別れた後、ソラはガルナハンの街で現地の捜査当局から尋問を受けた。当局はソラからリヴァイブの情報を引き出そうとしたのだ。だが彼女はそれに対して、何も知らない、と答えていた。それはリヴァイブのリーダー、ロマ=ギリアムとの約束であり、見ず知らずの自分に優しくしてくれたリヴァイブのメンバー達へのせめてもの恩返しだった。そしてシンに対しても。


――すいません。ずっと監禁されていて何も分からないんです。どこかに行く時は目隠しされていましたし。


執拗に問いただす現地警察の担当官に向かって、ソラはそんな答えを何度も繰り返した。結局、彼らは埒が明かないと思ったのか、当局はそのままソラをオーブに帰してしまう。その後、国やマスコミに振り回されたり何だりと、慌しく時は過ぎていき、ソラの中ではもうリヴァイブの事は誰にも聞かれないだろう、と思っていた。ずっと秘密は自分の胸の内に秘めたままだと。しかし――。


「どうして……私、別に……」


動揺が隠せない。思わず、私何もしらないんです、と答えようとする。だがソラの口からその言葉が紡がれる前に、キラが先んじた。


「……ソラさんがガルナハンで取調べを受けた時の調書を僕も読ませて貰ったよ。監禁されていてよく分からなかったって事みたいだけど……。調書をよく見るとあちこち矛盾があってね」


さっきまで解きほぐれていた体の芯が、また冷たく固まっていく。その先は言われなくてもソラにも分かっていた。 自分の嘘はすでにキラには見抜かれていたのだと。すーっと急に目の前が遠くなっていく。


「……」


一体何と答えればいいのだろうか?もし正直に答えれば、嘘をついた罪で警察に通報されるのだろうか?そうなればレジスタンスの協力者として逮捕されるのは確実だろう。ソラは俯いたまま、黙り込んでしまう。何もいえない。何と言えばいいか分からない。手のひらにジワリと汗が滲む。

するとそんなソラの様子に脅かしが過ぎたと思ったのか、キラは慌ててなだめた。


「ああ、大丈夫だよ。別にソラさんが警察に何て言ったかなんてどうでもいいんだ。今更どうこうするつもりもないし。……ただ僕は本当にシンって人の事が知りたいんだよ。昔、アスランの部下だったというその人の事をね」


かつてシンはアスランの部下だった――それはソラにとって初めて聞く驚愕の事実。奇妙な運命の織り成す人の縁に、ソラはただ驚くしかない。


「シ、シンさんってアスランさんと知り合いだったんですか!?」


びっくりした様な大声を上げて、思わずソラは身を乗り出してしまった。そんなソラにキラはしてやったりと、ニコリと笑う。


「やっぱり知ってるんだね、ソラさん。シンって人の事」


硬直。どうやらキラにまんまと釣られたらしい。顔を真っ赤にしてソラは食って掛かった。


「ひ、ひ、引っ掛けたんですね!い、いじわるです!キラ様!!」

「ごめん、ごめん。でもこうでもしないと話してくれないと思ってさ」


少し脅かして、なだめて、意表をついて――。キラにとっては初歩的な交渉術。どうやらソラはそれにまんまと乗せられたらしい。でも予想された最悪の事態はないと分かったのか、ほっとしたようにソラはひとつ大きく息をした。


「ひとつだけ聞いていいですか?」

「何?」


落ち着きを取り戻したソラはキラに尋ねる。


「どうしてキラ様はシンさんの事を?」


その問いにキラは物静かに語り始めた。


「アスランがね……とても心配してるんだよ。その人の事を今でも」

「アスランさんが?」

「うん。実はいうとね。僕はそのシン=アスカと一度戦ったことがある。5年前のあの大戦の時にね。その時、アスランはザフトのミネルバ隊に所属していて、シンはその時のアスランの直属の部下だったんだ。だからアスランから彼の事は一応聞いてはいたんだ。今、東ユーラシアで……その、レジスタンス活動に参加していることまでは、先日アスランに教えてもらうまで、さすがに知らなかったけれどもね」


キラは少し言葉をつかえさせたが、あえてシンたちをテロ組織とは言わずにレジスタンス活動と表現する。それが自分の心情を気遣ってのことだと、ソラにもすぐに理解できた。


「アスランも彼のことは常に気にかけている。いや、心配していると言ってもいい。シンという人間が、せっかく平和になった世界で、まだ戦い続けていることにとても心を痛めている。何とか彼をその境遇から救い出せないかとも考えている。だから僕は知りたい。アスランの部下だった人がなぜ今、統一連合に敵対する道を選んでいるのか。世界が平和に向かおうとしているのにどうして戦うのか。そこに至るまでにどういった経緯があったのか。僕もそれを知ることでアスランを助けてあげたいんだ。友達として、ね」


ソラはキラと話しているうちに、ふと気付いた。はじめソラは、キラがリヴァイブの情報を得ようとしているのかと思っていた。だから、かつて尋問を受けたときのように、そんな人間には覚えが無い、よく分からないと答えるつもりだった。 しかしキラが一番聞きたいのはあくまでシンという個人、彼の人となりなのだ。シンがどういう性格なのか、どういう考えでレジスタンスに参加しているのか、ソラから見てどういう人間なのか。キラは続ける。


「当然、ソラさんが彼の全てを知っているわけじゃないということは分かっている。それでも、君が感じたままの彼の印象を全部教えてほしいんだ。それが、僕が彼を理解することに少しでも役立てると思うから」


親友アスランのためを思ってなのか、それはとても純粋な願いに思えた。ソラはリヴァイブの面々も好きだったが、同じ様にキラやアスラン、ラクス達も好きだった。かつてはTVの向こうにいる遠い人達だったのに、今はとても身近に思えてくる。恩人の切実な願いに、ソラは感じたままの印象を素直に話し始めた。


「はじめは……、とても近寄り難い人でした。目つきは鋭いし、口数は少ないし、全然笑わないし」


思い出を整理するように、ひとつづつ少しづつ語っていく。


「……他の人が優しかったのに比べて、この人だけ違う、何がそんなに不満なんだろうと思っていました。はっきり言って、嫌いでした。確かにパイロットとしては有能なんでしょうけれど、皆があの人のことを気にかけて、信頼しているのを見て、どうしてなんだろうって不思議でした」


時折キラは頷きながら、ソラの話をじっと聞いている。


「でも、自分から進んで危険な任務をこなしたり、自分も傷付いているのに他人のことばかり心配したり。それで分かったんです。ただあの人は不器用なだけだって。自分の感情をそのまま表に出すのが苦手なだけだって。そして次に心配になりました。この人は自分の身を省みずに、他人のためばかりに戦っているけれども、そんな危険なことをどこまで続けるんだろう。不思議ですよね。私の方がずっと年下なのに、無茶ばかりして皆をはらはらさせる、昔いた孤児院の小さい男の子を思い出しちゃったんです」


いつしかソラは、統一連合の英雄であるキラの前で、彼に敵対するレジスタンスのエースパイロットをまるで大切な人の様に話していた。しかしキラは特にそれを咎めはしなかった。ただ静かに彼女を見守っている。


「レジスタンスの人たちのやることには今でも賛成できません。武器を取って、戦って、それで物事が解決するのかって疑問に思っています。でも、シンさんを見ていたり、レジスタンスに協力する人たちを見て、少しだけ思ったんです。……この人たちはこの人たちなりに考えて、みんなの平和や幸せを望んで、その上であえて武器を取ったんだって。決していたずらに争いを好んでいるわけじゃないんだ、って……」


懐かしい友人の思い出話をするよう語るソラに、キラは一言も口を挟まず、ずっと静かに耳を傾けていた。 そして静かに時は過ぎていき、時計の針がとっくに一回りしたあたりでそれはようやく終わりを告げた。


「……だいたいこんな感じです」


はあっとソラは大きく息を吐く。ずいぶん長い時間話し続けていたような気がした。以前ジェスに叩き込まれた「リヴァイブに関して絶対言ってはいけないこと」は注意深く避けながら、無事にキラに話し終えた事に内心ほっと胸をなでおろす。さすがに口がくたびれたのだろう、ソラは残ったカフェオレを一息に飲み干す。そんな彼女を気遣うように、キラは優しく礼を言った。


「ありがとう、ソラさん。なかなか興味深い話が聞けたよ。僕も少しはシンって人の事が判った気がするよ。どうしてアスランが彼を心配するのかも……」

「キラ様……」


部屋の時計を一瞥すると、時はすでに午前0時を回っている。それが語らいの終わりの合図となった。


「もうこんな時間か。夜遅くまですまなかったね。ソラさん」

「いえ、別にそんな……」

「明日も早いから今日はもうお休み。それと今日の事は僕ら二人だけの秘密だよ」

「は、はいっ。キラ様」


おどけるキラにソラは朗らかに答える。そして「おやすみなさい」と挨拶をして、客間から去って行った。彼女を見送った後もキラは一人客間に残り、しばらくソファーに座り思索に耽る。暖炉で燃え盛る炎を見つめながら、ソラの語ったシンの印象を思い返してみる。


「シン=アスカ……。優秀なパイロット。常に危険と隣り合わせの毎日を皆が支えてくれている。人付き合いが下手で、不器用で、それなのに無茶ばかりして周りに心配ばかりかけて……」


ふと初めてモビルスーツに乗って戦ったあの日々が脳裏に甦る。ストライクに乗り、ただ一機でアークエンジェルを守っていたあの日々。キラはそこで少し苦笑いを浮かべた。


「なんとなく分かったよ。彼は似ているんだ。昔の僕やアスラン……戦争の渦に巻き込まれて、仲間を、自分を、大切な人たちを守る術が戦うことしかなかった僕等と。だから君は彼の身をそこまで案じているのか、アスラン」


だがそこで、キラの口の端から笑いが消える。彼は部屋の隅に飾られている写真に視線を向けた。 それはかつて、ムウとマリュー夫妻に子供ができたときに、皆で集まって祝福をしたときの集合写真だ。幼い赤子を抱えて、笑顔を浮かべる夫婦を囲み、カガリが、キラが、アスランとメイリン夫妻が、そしてラクスがいる。 皆の笑顔がそこにあった。キラの守るべき笑顔が。その写真に向けて、彼は誓いの言葉をつぶやく。


「……でもその彼が僕たちが苦しい戦いの果てに見出だした平和を壊すと言うのなら、アスラン、君がいくら止めても、僕はシン=アスカを倒す。今度は完膚なきまでに。二度と立ち上がれないように」


――自室のドアノブに手をかけた瞬間、突然ソラの身にゾクリと奇妙な寒気が走った。思わず震える肩を自分の手で抱く。 だがその寒気の元が何であるのかは、とうとう最後までわからなかった。




オロファトに本社を持つオーブタイムス新聞社国際部。

普段は世界中を取材のために飛び回るジェスだが、この日は珍しくデスクに座ってキーボードを叩きながら、記事の仕上げにいそしんでいた。完成の目処がついたのか、大きく伸びをしてこった肩をほぐし、乱雑な書類の間に半ば埋もれているコーヒーカップに手を伸ばす。そこで、ふと思い立って彼はキーボードを叩いた。

ネットで検索をかける。コーヒーをすすりながら、片手で器用に打ったキーワードは『奇跡の少女』。

結果はすぐに画面に表示された。検索でヒットしたサイトは多いものの、どれも日付が一ヶ月近く前のものだ。ニュースにいたっては、そのほとんどが既に期限切れで削除されている。ジェスが安堵のため息をつく。騒動もようやく収まったか、と。




ソラが『歌姫の館』に逗留するようになって三週間ほど過ぎると、テレビも新聞も雑誌もネットでも、ソラのことが話題にのぼることはほとんどなくなった。それはカガリが情報管理省にきついお灸を据えたためか、それとも大衆が単純に飽きやすく、続けて起こったオーブの有名芸能人の不倫スキャンダルに興味を移しただけなのか。ともあれオーブ帰還後から実に二ヶ月近くを要したものの、ようやくソラは懐かしい我が家、アスハ記念女学院女子寮へと帰宅できることになった。

お別れのパーティーでは、仲良くなった子供たちがソラとの別れを悲しみ、それをなだめるのにラクスたちが散々苦労することになったのだが。子供たちも待っているから、いつでも遊びに来てくださいね、とのラクスの言葉は社交辞令ではなかったのだろう。学校の予定を聞かれたり、連絡先まで教えてもらったりしたのだから。

ただし、神聖不可侵のラクス邸に保護されていたことで、ソラのニュースソースとしての価値は上がったとも言える。ソラ自身へのそれはともかくとして、ラクス=クライン及び歌姫の館に対するマスコミの関心は未だに残っている。ソラがラクス=クラインに保護されていたという情報は徐々にマスコミも知ることなり、帰宅直後はソラへのインタビュー、と言うよりも強引な取材を試みる輩も多かった。ただし彼らは全員、ソラの護衛として命じられたアスラン率いる主席直属近衛監査局の専門要員によってあえなく撃退された。

アスランの近衛監査局は各国各省庁への監査を行うのが本来の業務だ。しかしソラの身を案じたカガリが主席権限でソラのボディガードを彼の部隊に命じたのである。こういう公私混同が果たして良い事かアスランはいささか疑問に思わぬでもなかったが、今回ばかりはあえて目を瞑ることにした。ソラの身を気遣っているのはアスランもカガリと同じなのだから。

また彼女を通して『歌姫の館』に過剰な注目が集まるのも避けたかった。かくてソラに付きまとうゴシップ記者達を害虫駆除よろしく彼の部下達は追い払い続けた。当然その部下達からの報告を逐一まとめるのもアスランの仕事となるが、ただ毎日の様にカガリとラクスがわざわざ歌姫の館に彼を呼びつけて、ソラの行動を報告させるのにはいささか閉口していた。おかげで自宅に帰るのが深夜になり、メイリンの機嫌もいささか悪く、その辺がどうにもやりきれなかった。


(これじゃ護衛じゃなくて素行調査じゃないか。いつから監査局は探偵事務所になったんだよ……)


妻の白い目を背に受けつつ、医者に胃薬でも処方してもらおうかなと、つい我が身を案じてしまうアスランであった。




「ラクス様と会ったんでしょう、どういう人だった? やっぱり、その、天使みたいなお方だったの?」

「それよりも、キラ様よ、キラ様! えーっ、ソラ、写真も撮ってないの? あーん、生写真もらえると思って期待していたのに!」

「テロリストに誘拐されて、その後は歌姫の館に保護されていて、今度はアスラン様にボディガードをされているなんて、まるで映画みたいじゃない!一生の語り草よ!とりあえず私たちに一から説明しなさい、じっくり、たっぷり、包み隠さず全て!!」


オーブの首都、オロファト市にあるアスハ記念女学院。ソラが歌姫の館に滞在していたという話はすでに学校中に広まっており、久しぶりに登校するや否やソラは周りを囲んだクラスメイト達からたちまち質問攻めにされた。教室の中は機関銃のように次々と飛び出してくるはしゃぎ声で一杯だ。その渦中の中でソラは


(これもアスランさんに何とかしてもらう……なんてさすがに無理よねー)


と、つい内心ごちてしまう。するといきなり後ろから、誰かがソラを羽交い絞め。


「さあ、吐け!今、吐け!キラ様やアスラン様にも会ったんでしょ!ソラっち、早く早く!!」

「ハ、ハーちゃん!わかったから!話すから、は、離してよ~!」


誰かと思えばハーちゃんことハナ=ミシマ。ソラの親友である彼女も、今はこの騒ぎの輪の中。すると前の席に座る利発そうなポニーテールの少女が面白そうに話しかけてきた。


「でもソラも面白いわよね。テロリストに誘拐されるなんて人生最悪のコースにまっしぐらかと思ったら、今度はラクス様と一つ屋根の下なんて大ラッキーな巡り合わせじゃない。180度違う運命なんて滅多に体験できるもんじゃないわよ。ソラったらひょっとして、一生分の不運と幸運を一緒に使い切っちゃったんじゃない?」

「それならそれでいいわよ。私はずーっと平凡な生活で」


まるで仕事に疲れたお父さんの様に、ソラははぁとため息を漏らす。


「つまんないわあ。傍から見てるにはとっても面白いんだけどぉ」

「何よそれ。シーちゃんのいじわるっ」


ぷぅと膨れるソラにシーちゃんこと、シノ=タカヤはクスクスと笑った。つられて周りのクラスメイト達もたまらず噴き出す。

穏やかな日差しが照らす教室に、笑いの輪が広がっていく。いつの間にかソラも皆と一緒に笑っていた。ソラはふと実感した。やっと帰ってきたんだなあ、と。今ではこうして笑い話の種にもなるが、あの時はそれどころではなかった。

コーカサス州ガルナハン。

極寒の荒野で人と人が、互いに命を削りあい奪い合っていた世界。あの地では、明日をも知れない毎日の中、全てが必死で、全てが命がけだった。戦いだけでなく、生きることも、人との出会いも、語らいも。でも今はそれはとても遠い過去に思えていた。ともすれば昨日の事までも。


――昨夜やっと寮に戻った時、帰ってきたソラを真っ先に出迎えてくれたのがハナとシノだった。再会した時、二人ソラは互いに抱き合って思い切り泣いた。玄関先で脇目もふらず大粒の涙まで流して大声で泣いた。地球の裏側に連れ去られ、一度は諦めた親友達との再会。その願いがようやく叶ったのだから無理もなかった。

寮のシスター達は感激にむせび泣く三人が落ち着くのを見計らうと、その後ソラを食堂に連れて行ってくれた。そこでソラは久しぶりにシスター達の簡素ではあるが心のこもった我が家の料理を食べた。やっと戻ってきた日常。今のソラはそれがたまらなく嬉しく、いとおしかった。その日の夜は自室で友達と夜遅くまでしゃべり通し。シノやハナだけでなく同じ寮に住むなじみの友達も多く押しかけてきて、話題は尽きなかった。

そんな中、ついソラは漏らしてしまう。歌姫の館でキラやラクスと一緒に住んでいた事を。

その話を聞いた瞬間、ソラを囲む全員の目の色がギラリと一瞬で変わる。世界のアイドルと一つ屋根の下で過ごした者が、今目の前にいる。さっきまでの涙はどこへやら。たちまち再会を祝す場は一転尋問の場へ。あ、しまった、とソラは内心汗をかきつつ後悔したが、時すでに遅し。その日は消灯時間になってシスターに無理やり解散させられたものの、結局この騒動を学校に持ち越す羽目になってしまったのであった。


「あ~、疲れた疲れた~!」


昼休み、学校の屋上で青空を見上げながら、ソラは思い切り背伸びをした。途中の自動販売機で買ってきた紙パック入りのジュースにストローを差し、ちゅーっと一息飲む。クラスメイト達を相手に延々としゃべり続けて、さすがに喉もきつかった。


「しばらくこんな調子なんだろうなあ。まあ、しょうがないかあ」


空を眺めながら、ソラはぼんやりと呟く。ソラは午前中ずっとクラスメイト達にこれまでの体験談を”披露させられていた”。歌姫の館での出来事はもちろん、コーカサスにさらわれてた時の事やマスコミに振り回された事。そして当然の事ながらキラやラクス、アスランやカガリの事も。その度にクラスメイト達は黄色い歓声を上げ、大はしゃぎだ。

しかしその際もやはりソラは気を使っていた。クラスメイト達にではなく、話す内容にだ。キラと相対した時と同じように、慎重に言葉を選び、友人たちの興味を満足させつつ、リヴァイブやラクスたちにとって重要と思われる情報は一切口にしないように注意を怠らなかった。ここら辺は、オーブに帰る前にジェスから受けたレクチャーの賜物だろう。そして延々と続いたソラのトークショーもようやく昼休みになって一区切りなり、やっと彼女は解放されたのだった。

クラスメイト達から逃げるようにやってきた、昼休みの屋上。そんなソラにつきあってシノとハナもやってきた。屋上には三人の他にはほとんど生徒の姿は見えない。ようやくゆっくりできそうだと、ソラは大きく深呼吸をした。


「なーんか、ソラっちも大変ね。落ち着くヒマもないでしょ」


ヘトヘトになっているソラの右隣に座るハナがいたわってくれる。


「うーん、それでも少しは気が楽になったかな。皆に話したおかげで気持ちの整理が少しはついたというか……、なんかね」


確かに疲れたは疲れたが、一方でソラは肩の荷が下りたとも感じる。やっぱり今まで心の中に積もり積もったものを、どこかに吐き出したかったのかもしれない。そこにシノが教室での一幕を思い出したように話しかける。


「でもさっきは驚いたよね。いつの間にか先生まで授業そっちのけで混ざっててさ。ずーっとソラの話聞いているんだから」

「ロズウェル先生ってば適当に止めてくれればいいのに、ひどいわよ。みんなと一緒に黙って聞いてるんだもん。おかげで私、話疲れちゃった。顎も喉もヘトヘトよ」


ソラとシノはお互い顔を見合わせてアハハ、と思わず笑いだす。


「まーおかげで午前の授業は完全に潰れたし、ソラっち様々だわ。アタシ、数学の予習やってなかったのよね。順番だったから、ホーント助かったわ」

「私はハーちゃんの防波堤ですか」

「いえいえ、ソラっちにはお蔭様で感謝の言葉もございません」


おどけて手を合わせるハナに、ソラも軽口で返す。


「だめだめ、ハーちゃん。感謝の気持ちは言葉じゃなくて、きちんと物で表さないと。まあとりあえず大幅にまけて、ミルクティーで手を打ちましょうか」

「はいはい、了解しました。んじゃ、お昼に食堂の自販でね」

「ミルクティーといえばロンデニウムのマスターどうしたのかな?そろそろバイトも再開しないと」

「おー、ようやく『喫茶ロンデニウム』に復帰しますか。久々にソラっちお手製の美味しいミルクティーが飲めそうね」

「じゃさ、帰りにロンデニウム寄って、三人でお茶会しようよ。マスターに会うのも半年ぶりかあ。何かちょっと怖い気もしちゃうな」


ところがソラの誘いに、シノは少し困った様な顔をする。


「どうしたの?シーちゃん」

「……ごめん、ソラ。私、今日予定が入ってるんだ。だからお茶会はまた今度、ね」

「そうなんだ……。部活が忙しいの?」

「ううん。それとは違うんだけど……」

「?」


どうにも歯切れが悪い。すると二人を遮るように、午後の始業十分前を告げる予鈴が鳴った。この学校では三分前になるともう一度鳴る事になっている。


「じゃ、私先に行くね」


そう言い残すとシノは、そそくさと校舎の中に戻ってしまった。小走りに去っていく親友の後姿を、ソラは釈然としない想いで見送るしかない。


「どうしたんだろう、シーちゃん……。今、部活そんなに大変なのかな?」

「……そっか。ソラっちはまだ知らなかったっけ」


きょとんとするソラに、いやそれがさあ、とハナは声を潜めて話し始めた。


「シノね、付き合ってた男の子がいたのよ」

「え!?シーちゃん、彼氏いたの!?」


初めて聞く話にソラは蒼い瞳を大きくして驚く。半年前はそんな気配は微塵も無かったのに。 大仰に反応する彼女を、まあまあ落ち着きなさいとハナはなだめる。


「相手はオロファト第一高等学院二年生の男の子。ウチの学校っていろんな行事であそこと付き合う事多いでしょ。例年の合同文化祭とかさ。で、その子はあの名門男子校に西ユーラシアから来た交換留学生で、陸上部の合同練習でシノと知り合ったのよ。確か三ヶ月ぐらい前の話だったかしら」

「へー。でもハーちゃん、よく知ってるわね。シーちゃんの事」

「シノには惚気話を散々聞かされたからねー。独り身には堪える話ばかりだったわよ」


やれやれと呆れた様な仕草をしてみせるハナに、笑いがこみ上げる。帰宅部のソラやハナと異なり、シノは陸上部に所属している。それも地区大会では常に上位に入るなかなかの強豪選手だ。なお、引き締まった体つきとりりしい顔だちにファンも多いと聞く。ちなみにファンの男女比は3:7。もちろん男性ファンはオロファト第一高等学院の男子生徒達だ。


「でもさ、私達って寮に住んでるから、他の学校の男の子が連絡とろうにもなかなかできないでしょ。手紙も携帯もメールも全部シスター達にチェックされてるしさ」

「そういえばそうよね……」


嫌な事でも思い出したのか、急にソラはゲンナリする。

ソラの我が家である『アスハ記念女学院』女子寮。そこの寮生が口をそろえて言う、寮の最大の欠点であり問題点。 それはシスター達が極めて規律にうるさいという点だ。

門限はもちろんの事、特に寮生の外での活動には目を光らせており、どこの誰と連絡を取っているのか、どこでバイトをしたり、どこに遊びに行くかなど全てシスター達が逐一チェックし、寮生が規律を乱さないか、非行に走らないか目を光らせている。バイト一つにしても彼女達の厳重な選考を潜り抜けねば、許可が降りない。 喫茶ロンデニウムへのバイトも、それを突破した数少ない候補のひとつだったなあ、と思い返す。

確かに自分達孤児の親代わりとなって見守ってくれるシスター達は、皆優しくいい人達ばかりなのだが、あれだけは何とかしてもらいたいとソラもよく友達と愚痴っていた。


「あれは本っ当になんとかしてほしいわ。まったくプライバシー侵害よ!」

「向こうに言わせれば『悪い虫がつかないように』って言いたいんだろうけどね。何せ我が校のモットーは『清楚、貞淑、敬虔な淑女たれ』だもん。さすがに時代錯誤とは思うけど」


やれやれと肩をすくめながらハナは続ける。


「そこでシノとその男の子が考えたのが、局留めでの文通ってわけ。ほら、郵便局に相手からの手紙を預かって貰って、あとで受け取りに行けばシスター達の目も届かないでしょ?」

「わっわっ、それって文通って事?何か古風でロマンチックじゃない。いいなあ~」


以前何度か読んだハーレクインロマンスの小説みたいな展開でも想像したのか、ソラは蒼い瞳を期待感でいっぱいにする。 片やハナはいささかズレた感性の親友に、少し呆れてしまう。


「……そお?手間ばっかかかって私は面倒臭いだけだと思うけど。ま、とにかく二人はそれで上手く付き合ってたってわけ。いつ待ち合わせをしたりとか、どこにデートに行こうとかね。ところがさ。先週、突然その男の子から連絡がプッツリ来なくなったのよ。どうも西ユーラシアに帰っちゃったみたいなのよね。あんまり急だったしお別れの一言も無いもんだから、シノってばめっきり落ち込んじゃってさ」

「でもさ、他に連絡が取れるものとか教えてもらわなかったの?携帯とかメールとか向こうの住所とか。帰国しても他に連絡くらいは取れる方法はあるんじゃない?」

「一応、携帯もメールも教えてもらってたみたいなんだけど、全然繋がらないんだって。ほら、ソラも実感しただろうけど、最近西ユーラシアってものすごく危ないそうじゃん。だからかもね」


西ユーラシア。その単語がソラの耳に引っ掛かる。ソラがいたのは東ユーラシアだが、ユーラシア全体の状況はロマやジェスたちから聞かされて、彼女も把握している。二度の大戦とブレイク・ザ・ワールドの惨禍、九十日革命の傷跡、政情の不安定が止まらず、レジスタンスも活発に行動している。なるほどそのような土地では、連絡もなかなか取りづらいであろう。


「シノ、今じゃ毎日のように帰りに郵便局に立ち寄ってるのよ。もしかして手紙が来てないかって」

「そっか……そんなことがあったんだ……」


深刻になりかける雰囲気を和らげようと、ソラは努めて明るい声を作った。


「じゃあさあ。こうはどうかしら?お題は『シーちゃんの遠距離恋愛を応援する会』。それでシーちゃんを励ますお茶会を今度やろうよ」

「おお、いいじゃん、いいじゃん!」


笑いあう少女二人の耳に、始業三分前を告げる二回目の予鈴が鳴り響く。彼女達は大慌てで、屋上から教室に向かう階段を駆け下りていった。この時ソラは、自分が再びユーラシアの地に立つことなど、予想もしていなかった。そして、三人でいつも開いていたお茶会を、二度と開けなくなることも。




――オーブの片隅にある港町。その片隅で、地べたに腰を下ろしながら、昼間から酒を煽っている男性がいた。海の男は例外なく酒好きだが、同じく例外なく昼間は飲まない。舵を握る腕が震えていては命に関わるからだ。それはいつ牙を剥くか分からない海を相手にする、船乗りたちの暗黙の規律だった。

だから昼に酒を飲むのは二種類の人間だ。引退して船を離れた男か、それとも船乗りとして蔑まれるべき下劣な輩か。男性は後者であるようだった。


「畜生、畜生、くそったれが……」


彼は酒臭い息と一緒に、汚い罵倒を繰り返す。通り過ぎる人は目をそむけるか、露骨な嫌悪をこめて睨みつけるかのいずれかだ。なるほど彼には同情すべき点もあった。

代表をつとめる海運会社が、二度の大戦で大きなダメージを受けた。戦後の復興で経済が上向き、同業者たちが戦争の損失を取り返すべくフル稼働しているのに比べて、その波に乗り遅れてしまった彼の会社は経営が傾いたままだ。せっかく先代が起動に乗せた会社も、もはや青色吐息。不渡りを出し、所有する船に差し押さえの赤札が貼られる寸前まで来ていた。


「何で俺の会社ばかりこんな目に。畜生……ヘイズの野郎も普段偉そうな口を聞くんなら、大口の仕事の一つでも取ってきやがれってんだ!」


しかしその逆境を嘆くばかりで、発奮することも無く、酒に逃げ他人に責任を転嫁している彼自身に問題の本質があることは、誰の目にも明らかだった。


「俺にだってチャンスさえあれば……くそ、俺のところだけは運命の女神が一向に近づいてきやがらねえ。俺を避けて通っているとでも言うのか」


止まらぬ呪詛の言葉をさえぎるように、彼の頭上から影が差し掛かる。彼が見上げると、そこには一人の紳士が立っていた。 港町には不釣合いの、落ち着いた物腰と上品な身なりの男性が。


「パーク海運会社代表、トマス=パーク様でいらっしゃいますか? 」


トマスの人生に、確かにこのとき運命の女神が近づいてきたのだった。彼の期待とはまったく正反対の運命をもたらすために。

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